徒然なるaha日記

aha(アハ)という女が綴る日々

擬似父性

占いをしてもらった。やっと心がフカフカフワフワしたところで休日がきて、家族に付き合ったら寒かったのか風邪をひき、日々の動悸に加えて節々や腰が痛くなり、子宮は血の気が引いた感じで収縮し、身体中の悲鳴を上げている。

今日も昼間一人寝ていたら、夢でイルカ達と泳ぎたわむれ気持ちよく目覚めたが、現実はあちこち痛くて体が泣いている様子。

ここしばらくの不調は、近しい周囲との相違からきているのをわかっているが、そもそも一致したことなんてあったんだろうか?と思うにつれ、自分が求めているものの1つを思い出した。(もしかしたらコレはのちに非表示にするかもしれない)

あれは中学3年の夏休み。金が無いとこぼすくせに、成績が下がったから行っておきなさいと母から言われて通った塾。そこで当時29歳の塾の講師に出会った。特別かっこいいわけでも無いが、話しているうちに楽しくなり、気がついたら好きになっていた。幼い恋しかしたことない私は、そんな好きのなり方も初めてで、何度か帰りに個人的な話もする間柄になってきた。

ある時、帰りに星が綺麗に見える人気のないところで話をしていて「守ってやる」と抱き寄せられた。そこでその時は終わったが、びっくりしたと同時にその感触に心がホッとしたのを覚えている。その時期、思春期特有の物もあり、日頃から父との間がピリピリしていたのだ。幼少期から顔色を窺うところがあり、特に父にほっとしたことがない私が男性に抱く初めての感覚だった。

夏の終わりに彼から遊びに行くことを誘われた。最初何人かで行くものと思っていたら、私と2人きりだった。車で遊園地に行ったわけだが私は「背伸びをしたい中学生」という気持ちより「14歳を狙う29歳って普通じゃなくない?」という良識の部分が時間が経つにつれ14歳なりに膨らんできた。最終的には日も暮れてきてギリギリなラインを避けつつ帰りたいと伝え、彼は渋々了解して無事に無傷で帰宅した。考えたら最初から彼は狙っていたのかもしれない。それきり塾もやめて、彼と会うことはなかった。

母は中学生が遅い帰りなのでピンときていた様子(内容の詳細は知らない)。ただ今言わせると「寂しそうな顔してりゃモテるんじゃないの?貴方は昔そんな感じだったし」と吐き捨てる。そうだったのかな?寂しさで人を引きつけるなら、いつも本人は不幸でないといけないではないか。そんなの嫌だな。

当時、後から襲ってくる感情は「怖かった」があった。しかし怖かったんだが、それ以上に苦しめたのが「守ってやる」の感触だった。一度味わってしまった甘美な響きが、苦しめたのだ。怖いんだけどまた味わいたいと。最初にできた同級生の彼氏なんて、その人と比較してしまい自爆した。ごめんね、○○くん。

さて、ここ数年辛い気持ちになる出来事があり、なるべく自分で解決しようとしていたが、どうしても一人じゃ解決できないこともあったりで、メンタル面だけでもと夫に助けを求めてきた。しかし上辺の言葉だけでも救ってくれるものはなかった。ああ、私はあの感触をうっすらと、でもずーっと求めてしまっているのだと今実感した。でもあれは、どこか擬似的な父性だろうし、本物の愛情でも無かっただろう。そして本来は私から相手を包んであげる方がいいんだろう。もちろん夫の危機には救うべく努力したんだがなぁって不公平さを感じているあたりが、私自身も本物のソレではないのかもしれない。

実の父は自分と似て表現も不器用で、父親的なあったかさを感じる人でなかったから、表面上でもそう感じる人に惹かれやすい私の弱さかもしれないな。親となった今、私は娘が感じるほどの母性的な暖かさを出せてあげているのだろうか?いや、ないな。どうやったら自分の心のコップを満たせるのか、体の悲鳴を聞きながら考える。占いのこと、もう少し心の中で噛み砕きたい。