徒然なるaha日記

aha(アハ)という女が綴る日々

動きがあった

今年一発目。

まず仕事は辞めると伝えた。良い職場だったし約半年勉強してバイトもしたが適性がない。仕事さえ出来ていれば他はOKな楽なところだったが、そういう結論に至った。

正直悔しいが、元はと言えば前々職の無茶振りから知るキッカケになり始まったんで、それで何かをしたいという動機の人に比べたらモチベーションが弱かった。

ついでに子育て支援の方にいきさつを話して、アドバイスをされて気持ちがスッキリする。最近は人とマトモに話をする機会がなかったのだ。残念ながら夫では話し相手として無理だった。同性として子育て経験者として、タメになりとても心が癒され、先ずは自分の方向性を改めて確認する作業にするのを勧められた。考えたら現職は父の危篤の時に内定を貰い、あまり熟慮する余裕はなかった。

年末か年始か忘れたが、母に数十年来抱えたこちらの主張を伝え、いつも苦情を聞き入れない彼女がとりあえず耳には入ったかのようだったので、とりあえず暫くはこちらに火の粉がかかってこないと思いホッとする。「もっとahaは自分を持った賢い子で、夫婦の問題に割って入って解決してくれるものだと思っていた」と捨てセリフを吐かれたが、それは今まで積み重ねた私への態度でそこまでする恩など無いのでは?と言いたかった。幼い頃からしょっちゅう夜中まで時間をかけ、同情して一緒に泣くまで、夫と姑の不平不満を涙ながら私にぶちまける姿が正常だと思うのかね?

でも彼女を仕留めるような追い込み方は、配偶者を亡くした傷心の身なので痛手であろうから飲み込むこととした。

年明けには父の法事も無事にすませた。納骨時には鳩がさえずり、甥っ子にしょっちゅう夢で出てきて寂しがっているそうだ。死してなお父母双方の本音が少しばかりわかってしまっているような気がするのだが、それは心に収めて父の前で手を重ね、改めて自分の整理整頓を始めた。

私は15年目に突入する燻っている課題に、少しずつ取り組むようになってきた。父が背中を押してくれたと勝手にキッカケ作りにしている。

娘の気質が段々とハッキリしてきて、それなりに長所短所があるわけだが、やっぱりあんまり自分と似ていないのが不思議であり有難い。

自分に似た子は本気で欲しくなかったから子供を持つ気が全く起きなかった。子を持つきっかけは優しい義父が突然亡くなったこと。夫や義実家の皆んながとても悲しみ、それを乗り越えるには子供かなと思った次第。勢いもあったんだろう、結構深く考えずに行動した。

それまで自分に必要以上の責任なんか負いたくないし、そう子供に興味もなかったが、義父と同じく頭の平たい娘が、運が良く超短期間の仕込みで(笑)産まれた。二人目妊活もしたが、妊活で感じの悪い産婦人科医を目の当たりにして自問した後に辞めた。弟妹をもたせたかったが、自分は娘だけでも満足していたことに気づいたからだ。生涯で妊娠したのはこの一回のみ、結局それ以外は縁がなかった。

ただ、もう少し自分を好きになったほうが幸せなんだろうな。ある友人がしょっちゅう近況をSNSにアップするが、自分好きが炸裂し、自己肯定感とメンタルが半端なく強い。これって私に非常に足りないところでないかい?これからの自分に必要なものである。その好きの根拠をこれから培っていくよ。

そう、必要という言葉だが欲しいものとさして欲しくないものがはっきりしてきた。

 

ato[-10.6kg,-9.4%]