徒然なるaha日記

aha(アハ)という女が綴る日々

壊れて、BMIは22を切った

私はぶっ壊れた。

自分でズタズタ壊しまくり壊れまくって4日で3キロ減った。虚な目で部屋にいると、テレビでは青い空に拳を突き上げるシーンが観えた。

自助できる状態じゃないと友人から言われ、診察の予約を入れた。夫が何も知らないのはいけないと諭され、心が不調なので病院に行きますと伝えた。ここでも意思疎通が難しく、意図が伝わらないがこれは通常運転。彼はわからない人なのは今に始まったわけではない。ある人からカサンドラ症候群だろうと言われたから、それが土台になった壊れ方だろう。多分、実母も夫に近い人で、子・夫・母、そんな人に囲まれたのが今の私だろう。

半年は特に細心の注意を払って、全体としては1年以上に渡って、社会的に出て行こうと娘のこと、家庭のこと、自分のことを整えてたが、準備も含めたこの数十年分が一瞬でぶっ壊れた。

半年前に占い師さんからアドバイスをもらったのを思い出す。あれすらも遠い昔のように感じる。役に立てずにごめんなさい。私は自ら心の暴力を振り回し、自滅した。まだ全然自分で立てない状態なのに。どうにか自分を愛してあげないと。自分を愛でてあげないと潰れてしまう。食欲が1週間経ってもまだ治らない。これ以上激しいペースで減るとリバウンドがあるから、まずはキープで考えている。今回唯一の利点はBMIが22を切ったこと。試着する服がどれもそこそこに入るのが数少ない満足の一つ。

2021年は天秤座にとって「愛」がテーマらしい。私はこれからどうなるのだろう。どうするのだろう。

20年ぶりのおはよう、私

今日は知人達に「なんか変わった」と言われた。

自分の生涯は、陰鬱とした雲が垂れ込め、全てが長くうまくいかなかった。雲の下には35年前も真っ黒な沼がにハマった。這い上がったのも束の間で29年前もドロドロした沼があった。20年前からずっと今の沼で一向に変われずにもがいていた。常に敗者として過ごしていた。

視野に空を感じたのは20年ぶり。体の内臓や体質から変化するような感触では初めてなのか。なんだかとても怖いけど、進まずにはいられない。狂っているだろうけどわかっているよ、そんな事。先週の月曜日には想像もつかなかった状態だよ。

もう3月を様々な人を見送る淋しい季節と自分に言わせない。寂しさを切なさに利用しない。

稲妻

先週、衝撃が走った。腰を抜かした。

ガーン、チカチカ、クラクラ。

全てが言い足りない。すべてがこの伏線だったのかと思うほど。その日から数日までぼーっとしてしまった。可笑しな話だ。

自分の様々な日常の言動が別の人格みたい。

でもそれも「わたし」だ。必ず、必ずや前に進む。

初しゃべりのポンコツ

最近は「相手はどうしてこうなんだろう?」ではなく「そこにベクトルが行く自分はどうして何だろう」を考えるようにしてきている。結構人に言われて気づくことが多い位に客観視は難しいんだろう。だから自分の言動が何から基づいているか。どうしていきたいか。何に立ち向かい、何から恐れているかに着目するように生きていきたい。

今年初めての長電話を友人とした。彼女とは互いの云々をよく知る長い付き合い。

私は父を亡くしてからどうやら心身が弱っているらしく、特に此処半年は顕著らしい。それはその事柄を取り巻く身近な人達に絶望したからのようだ。ほとんど他人と比べることはしない代わりに、常に自分自身と戦っているから逃げ場がなくてキツい思いをしているらしい。対外的には評価される夫だが、私は一緒にいるのが苦しいらしい。

そして、彼女も母親であり妻であるが、その状態で個人的に何かを積み上げていく生き方は非常に大変で、そう多くの人が容易く達成出来ていることでは無いとも言われた。だから何者でも無い自分に落ち込むのは、四角四面に考えすぎでもっと柔軟に生きようとも。

私が側にいる殆どの人達に意思疎通も含めて期待しなくなったら少し気が楽になったが、それは互いを理解し合うなどでなく、仕事場で長くいる人たちと上手く喧嘩せずにいられるように気をつかう感じと同じだそうだ。

彼が弱った時は私が踏ん張ったが、彼は私が弱っても守ってやれないと言われたので、私は頑張って責任を果たしていた事を心のどこかで半期決算をしたのを彼女に伝えた。少し肩の荷が下りたのは、通院しがちであっても娘が小学生になった事も大きかった。

今月、ある講座が終了した。無いところから絞り出して一つ形にした。さて、ココからどうしよう?色々と燃え尽きた部分もある模様。そして、気質がかなりのポンコツな自分を認めてあげたらちょっぴり笑ってしまった。そんな私も愛してあげて、ahaよ。

voguegirl.jp

娘へやらねばならない事もまた増えた。そのせいで就活の予定も立ちにくい。それ以外の道も含めて具体的に動く時期だろう。ただ、コロナ禍&頭が真っ白ノープランで動きにくい。

とはいえ彼女の電話と、とある事で心がとても穏やかな気持ち。目先に一喜一憂しないようにと自分に言い聞かせて、遅ればせながら肌のお手入れとお風呂に入って薬飲んで寝よう。

みんなの明日が笑顔でいられますように。

あ、違った。そっちなのか。

とにかく最近は未病を確認しまくり、小さいうちに潰すべく様々な病院へ行ってる。

まず、ガスだらけで過ごした2週間後にお腹が突如ぶっ壊れ、もはや腸液ダラダラのアースカラーの液体で出口が大変辛かったので病院へ、大事に至らなくてよかった。

昔に健康診断中に腹痛になったから、大腸を調べるため2リットルの下剤をゲエゲエ言いながら飲んで、麻酔後に放置されて風邪を引き「過敏性腸症候群でーす、多分ストレスぅ、治る治療法ないよ」と言われ何にも解決せず腹を立てたが、たまに酷い下痢するから今度他の病院に行こうか考え中。どうも医者は治し方がわからないと「それストレスぅ」と言って逃げる場合が多い気がする。

加えて秋ぐらいから泣く度に子宮がキューっと痛むというか一緒に泣いている感覚がしてて、9月の健康診断結果も「小さな子宮筋腫があるから半年後にまた来てね(ハート)」とあった。しかしたまにキューってするからお風呂で自ら触診してみた。ん?なんか当たる、なんかある?小さいと言ってたけど割と大きい!ガン?こ、怖い!!!とまだ半年に満たないが早めに病院に行ってみた。えーっとですね、ちょっとこっち側でコリコリしてて、その、あのう・・・

結果「それ、子◯口です」えー!そ、そうですか。「自分で触らないでくださいね、爪とかで中を傷つけちゃいますから」と常に優しい先生(♂)に諭されました。はい、気をつけます、良かった〜。まだまだ自分の体を知らないもんだ。

日々歩きまくっているが、11月で平均17,000歩、12月で18,000歩、今月は21,000歩歩いているらしい。緊急事態宣言後、人気も減った街中でも狂ったように歩くね。でもそんなに強めの食事制限をしていないから、まだマイナス7キロくらいしか減っていない。あと10キロを9月末までに目指してるからね、まだまだ気は抜けない。ただ、女を磨きたいモチベーションと同じくらいに、就活への気力と、娘への優しさを出せたら良いのに。いまだ無職だし、娘を怒ることばかりで自分が嫌になる。もう少しバランス良くなりたい。ごめんな、こんな母さんで。もっと優しくなって、仕事で結果を残したい。

そういや、さっきこんなツイートを見かけた。

去年、子供のある習い事でネット講座の際に、誰か高そうなマンションからの凄い景色をわざわざ背景にしている家庭があり、それもこんなのの一種の表れかとつい最近気がついた。鈍いなぁ、気づくのが遅い。

それにしても寂しいもんだな、話題に出ている美人は。誰か知らないがそんなヤツからは離れろ〜!毒にしかならないわ。美人でもこういうふうに性格がブスだと、歳を取るのが修羅だろう。外見的な美しさなんて、期間限定なのに。他者をコケ下ろすことでしか自尊心を維持できないのは、寂しい人生まっしぐらだろうな。

そりゃ私も最近じゃ美活しているし、外見も内面もイマイチだけど、それは自分で自分の自尊心を高めるためにしている。自分で自分を愛でるため。そこで他者との比較なんて虚しいもんさ。

それよか、こんな友達のフリしている人からは自ら離れるに限る。それに加えて良い子であっても、向こうの会いたい気持ちが結構低めの人ともこの数年で整理した。連絡した後に「私は片想いなんだろうな」って感じたくなくて。以前ほど無理に友達作りもしない。でも同時に心は閉じずにいようと心がけている。まだ知り合っていない親友もいるかもしれないし!(たまに本当に独りぼっちで地獄な気持ちにもなるが)

一部でも構わない、もっと心のズブズブなところで交じり合いたいのが恋愛も友情も変わらない。ズブズブ女、此処に有り。

ツイートを読み進めると思い出すのが、高校んときのクラスはカースト上位が良い子達で、話が合うことは無くても非言語の部分でクラスの居心地良くて平和だったから、低い層にいる私でも楽しかったな。平和大好き。いちいち気に障りたくないよ。

美しくなりたいのは

九州では珍しく外は真っ白。新雪のところを踏んじゃ足跡をつけて→トンボ帰り。防寒着きてないから寒いんで長くはもたず。

今日は夜のウォーキングに行けず、フラストレーションは溜まるわ、口寂しくなってチョコチョコつまんでしまうわ、カレー食べて糖質取りすぎて眠てしまい、で反省の1日である。唯一のナデナデポイントは、ハロワに行ったことか。

こんな日は正月の三ヶ日と今日まで(って日が空いてないじゃん)。

毎日2〜3時間歩きまくり6キロ落とし、身内から目鼻が浮き出てきたねと言われ、このマスクと冬という最適なタイミングで顔にレーザーを当ててシミを焼き、肝斑の薬を貰い、肌と懐への負担が容赦ないゴリッゴリな化粧品を皮膚科に処方してもらう。調子がイマイチな未病レベルの事にも専門医に診てもらい、格段異常なレベルではないのが判明。今までの自分の有形の総点検をしていた。(本当はアンダーヘアもケアしたかったが、皮膚科代金が高くても延期)そして、あと10キロを秋の健康診断までに減らす!基準は25歳の頃の体重。死ぬまでは美しくありたい。占い師さんに「美」に関わろうと言われたのもある。本当は10代の女の子が思う様からスタートが遅すぎるけど。

嗚咽を毎日こらえられなかった秋から、不安定さはまだあるものの少しはマシになってきた。方法として一緒に住む家族も関わってくる身内からも距離を置くというスタンスに変えてきた。そして、拗らせた部分の気持ちを少しずつはらしてる。どれも痛みを伴うので辛い部分はあるが、崖から飛び降りた人が崖をよじ登って戻ることはないのと一緒である(byラブホの上野さん

美人になりたくなったのだ。加えて、自立をやっぱり目指したくなったのだ。そして心穏やかに生きるには何物にも代えられないから、自分が辛くならない様に生きていきたくなった。

あとは、無形の部分か。秋前には戻りたくない。私は血反吐を吐いても先に進む。そのためにも強さを下さい。

歩きながら、コロナにかかり重症になった方々を思うと、明日は我が身、加えていかに恵まれているかを実感する。私はこの2本の足を使い、10本の指を使い、1個の脳と1個の心臓を使う。心の主観ってどこから湧いてくるのだろう。医者や研究者ならわかるのか?娘は直ぐにお気に入りのメンズをテレビや学校で見つけるが、誰かを想う気持ちなど、何を根拠に化学反応しているんだろう。

死にそうな症状の時に、愛する人達の顔など思い浮かべる余裕なんてないだろう。だったら、通常に生きているこの時間に生き尽くしていくのが、悔いのない生き方なんだろうな。

肺疾患で亡くなった父が、生前息も絶え絶えで虚な表情を浮かべた時に「こうなる前に愛する人たちを視界におこう」「死にそうで苦しい時は、あらゆる手段をとって早く逝こう」と強く心に思ったのだ。コロナは死さえ立ち会えないと聞く。感染しない様に予防をしよう。

みんな、無事であります様に。

2020年のふりかえり。

ヘッタクソでシワシワな黒豆を作りながら、お雑煮の準備もしようかしている大晦日

今年を振り返るとコロナ禍の中、どん底な気持ちで悩みながらも自分の殻をぶっ壊した部分もある。嘘みたいに去年の自分と違うのが怖いくらい。そして健康のために街を歩きながら、自由に行き来できる状況と体と心でいられる有り難さも日々実感している。

いつ誰しも何があるか一寸先もわからないなら、この瞬間を生き尽くしたい。

通りすがりの方々も多いだろうけど、でもこの駄文に目を通した方々と私の愛する人達へ、来年の幸運を願っている。

そして世界が災いが無くなり平和でありますように。