徒然なるaha日記

aha(アハ)という女が綴る日々

ネジを巻き替え

アドバイスをくれた通りに、久しぶりに心がアガる洋服を可愛い店員さんから買い、久しぶりにお誘いを受けて年下の友達に会った。良い知らせを持ってきてくれたのが嬉しい。こちらのテンションが高くて申し訳なかったけども。それにしても痩せてて背が高くて良いな。スカートもスマートに似合う。

ところで最近はウォーキングを開始した。夜に夫と顔を合わせたくないから始めたが、これが一時期だけでも心をほんの少し軽くさせ、あーだこーだ話したい独り言を言いながら夜の街を歩きまくってる(怪しい)。

不調の睡眠欲に加えて、痩せたい気持ちも大きいからだろう、全然食べたい気持ちにならない。こんなこと、生まれて初めてかも。とりあえず、1年後には相当量の体重を減らしたい。最近体を使うからか、前屈などの可動域が広くなった気がする。自分の体の良い変化を感じるのは嬉しいね。

さて、ここまで色々やる割にちっとも上手く行ってない私は、人生の折り返し地点。ただ、行動力が伴うキッカケは、人の影響も強いわけだが、改めて考えていくと、自分の適性等に耳を傾けるのが下手だったのと今になって気づく。その人の合っている行動規範があり、同じように行動しても(突撃隊と言われる)うまくいく訳ないのだと。

じゃあ、どうすれば良いのか。先のラブホの上野さんが回答する「人の欲求」への洞察を自分に照らし合わせ、自分が何故今まで各々の行動を取ったかを考えた。あのサイト等は恋愛がテーマになっているけど、これって己への問いでもあるのでは?渇望、見栄、そういったものが行動に対する原動力かも。

私はいつも「意志」に即して動いても直ぐ頓挫したが、そもそも意志って頭で決めたことは動機も弱く体からの邪魔が入り、継続や気力もうまくいかないようだ。頭が悪いんだな。だったらちゃんと己の欲求を聞いてあげないと上手く達成いかないんだと。

加えて先の美輪明宏さんの本に対して昔は、女性が誇りを持って生きていく必要性を内容から感じ取っていたが今回は違う。「物事の決定を腹で括って決める」云々のくだりがあり、またある対談で「音楽は太古は狩猟をしながら足で刻み、胸(ロマン派)で味わい、近代は頭で作り、また胸に戻る」という体で捉える音の違いを歴史とともに少し語っていた。

そういや虚弱体質で、直ぐに体が根を上げた自分。原因の1つに自分の体の声をうまく聞いてなかったから?頭を頑張って使う癖は付いたが、感覚を使った勘は当たるらしく、大きな決定もある程度体からの判断が向いているのかもしれない。脳って多機能すぎて、案外それぞれに下手くそなのかも。

尊敬したり憧れたりした人たちの真似をしてもうまくいく訳ない。だって、得意な部分が違うから。苦手だからこそ憧れたりもするんだ。自分なりにアレンジしたはずだがねぇ。もっと合う捉え方や進めかたができるようにして、やったことを褒めてあげなくちゃいけないのね。

先日の「ユリイカ!」もそうだけど、私は本当に今までやり方を間違っていた。だけど、今まで一生懸命だったのを「良く頑張った、これを未来に活かして行こうよ、そんな私・大好きよ、ヨシヨシ( T_T)\(^-^ )」と言ってあげよう。

脳だけに偏った感覚を五感や五体に戻していくのに、今のウォーキングは合ってたのね。

行動のネジの品番を変更し巻き替えて、また歩こう。